生前、先代社長・土屋常正が大変多くの方々にお世話になり、その感謝と先代の軌跡をお伝えすることでお役に立てるかもしれないと思い、土屋常正の来歴を記載したページを作りました。
ぜひご覧頂ければ幸いです。
幼少・青年時代
1941年(昭和16年)12/23生まれ、父は太平洋戦争で亡くなってしまい、母親の女手ひとつで、育てられます。
家業は酪農で牛乳の搾乳を中心に生計を立てていました。
常正自身、19歳の頃、心臓の病気を患い、余命宣告まで受ける状態でした。
この病を克服できた経験から、若いころから「人の健康に関わるサポートをしたい」という想いが芽生えていたようです。
結婚~家業を継ぐ
結婚、そして3人の子どもに恵まれながら、家業の酪農を継ぎます。
しかし、健康やスピリチュアルなことに当時から興味があり、気学・家相・手相・姓名判断などを勉強していたそうです。
1977年、牛舎の立て直しを行います。
この当時は、健康関連の事業を行うつもりはなく、酪農を頑張ろうとしていた時期でした。
しかし、1983年、自分の母(私から見るとおばあちゃん)がガンで亡くなります。まだ60代の若さでした。ここから父の健康に関する研究と事業の立ち上げがスタートすることになります。
浄水器・炭の研究、そしてスピリチュアルなことも
実母の死をきっかけに、水と炭が健康に影響を及ぼすと考え、研究とともに、独自商品の開発を個人でおこないます。
また、手相や家相の勉強も熱心に行い、なんと、1985年
「うちの家相が悪い!土地も悪い!」
と言い、突然、実家の敷地の山を切り開き、現在の場所に自宅と仕事のための事務所を建てることになります。
家族はびっくりしましたが、今振り返ると、確かに、それまではどんなに仕事に努力をしても実らず、実際、私の父母は夫婦げんかが絶えませんでした…。
しかし、この引っ越しをして以降、本当に、夫婦仲も良くなり、家族関係も良くなっていったので、土地の良し悪しも本当にある、と私は実感しています。
真剣に水の研究と商品開発へ、そして独立起業
更に、父の勢いは止まらず、1986年~1989年頃、「電子水」という研究に興味を示して、電子水を研究開発している会社に、営業マンとして就職してしまいます。
家業の酪農は母に任せてしまい…。
当時は家族全員がびっくりして、大変だった記憶もありますが、ここに勤めたことで、父の知識と経験が一気に加速したのだと思います。
その後、その会社を退職し、1990年頃には、電子水の販売のために独立起業をします。
電子水のコンパクト版を開発し、その論拠となるデータを分析してくれる人を探している際に、父の晩年まで一緒に研究を続けて頂いた大阪府立大学卒業の新納清憲先生と出会います。
二人は会った日には意気投合したようで、ここから頻繁に連絡を取り合うようになります。
竹炭(ちくたん)への研究から会社設立へ
新納先生は、日本技術開発センターという御自身の会社も経営されていました。
この会社の浄水器の販売も、父が始めるのですが、その過程で、「竹炭(ちくたん)」が健康に影響を与えることに気づきます。
2020年代では、すでに竹炭はメジャーな健康アイテムとなっておりますが、1990年代にこのことに気づき、なんと、自宅に、自力で竹炭を作れる窯を造ることになったのです。
この当時は私も含め、家族や多くの父のご友人の方々にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
1997年にまずは土地に炭を入れる、埋炭を開始。
その後、3年ほどかけて、本当に自分の設計を基に、多くの人の力を借りて、竹炭の窯を完成させます。
今でも、当時当社で竹炭を作って、それを研究してくださっていた大学の先生がおっしゃるのは、「お父さんの作った竹炭は、本当にすごかった。密度が違う」とおっしゃって下さる質の高さだったようです。
この竹炭を基軸とした商品開発に着手、2000年1月20日に「富士活水理研有限会社」を設立します。
パワーサポートの開発~思い半ばにして死去
2006年、竹炭の利点を生かした製品「パワーサポート」などを開発販売を行い、ビッグサイトへの展示会出展なども精力的に行っていきますが、2007年ガンを発症。
2009年9月、まだ思い半ばのまま帰らぬ人となってしまいました。
この想いを私が引継ぎ、更に、新納先生が遺してくださった「財団法人 日本量子研究財団様」が、現代の技術を結集した量子波照射器という新しい「健康製品」を世の中に、伝えていきたいと思います。
父とお客様のエピソード集
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