プロフィール

私のプロフィール

ここでは、私が父と想いを引き継ぎ、この会社を引き継いだ想いを皆様にも知って頂きたくプロフィールを記載いたしました。
少し長文となりますが、お読み頂ければ幸いです。

父の話

父・土屋常正は、父親が戦死をしており母(私のおばあちゃん)が女手ひとつで育てられました。

家業は酪農の家系で乳牛を育てることを生業としておりました。

しかし父は自分自身、19歳の時に心臓の病気で余命宣告された経験もあることから、『健康でありさえすれば』ということを、身をもって体験しておりました。

そのときの病院で知り合った女性と出会い、家族の大反対もあったようですが結婚。
(もちろんこの女性が私の母です)

こういった経緯もあり、健康のことや家相・手相.姓名判断についても青年時代から興味を持っていたと聞いておりました。

そのため、今でいうところの「スピリチュアル」や「量子力学」に父は若いころから大変興味を持っていたようです。

父が起業。電子水機械の販売を始める

自身の母(私のおばあちゃん)が68歳の時、ガンで亡くなります。
これを機に、父は真剣に健康に関して考えるようになりました。私が小学校6年生の頃です。

当時、父が「根本的な健康」についての要と考えていたのが、「お水」。

今の当社の場所は、先のとおり、酪農家で牛がいたのですが、その土地を開墾し、新しい建物を建造!
実際の機械を製造してくださるパートナーを探しながら、電子水の作ることのできる機械を販売する会社を起業しました。

それが現在の富士活水理研有限会社です。

父の沿革は「先代・土屋常正のこと」というページを設けております。ぜひこちらもお読み頂ければ嬉しいです。

初期は電子水のことを、晩年は竹炭を活用した健康製品の開発を、大阪の新納博士と共同研究を行っていきます。

先代・土屋常正のことページはこちら≫

とにかく私が憶えているのは、学生の頃、父はしょっちゅう、体調のすぐれない方をうちの会社に来てもらい、更に住み込みをしてもらい、「お水による体質改善」を促していました。
新しい知らない人が、また家にいるな、という印象…(笑)。

父の会社お風呂や飲料水に気を付けてもらい体調が改善され喜んでくれた方々が、本当に多くいたことです。


父との死別、そして私の鬱の発症

父が67歳の時、ガンで亡くなります。2009年でした。

今となって、私がこの仕事を引継ぎ、量子医学やスピリチュアルを学んで振り返ると、父は「自分をないがしろにして、人のためにばっかりがんばっていたから」死期が早まったのかもしれないな、と感じています。

葬儀には1000人以上の方々に参列していただきました。


父の死後、富士活水理研有限会社を母がひとまず引き継ぐことを決め、その後私が引き継ぐことになりましたが、ほぼ企業活動が止まってしまっている状態でした。

私は30代の頃は、ピアノの講師やフラワーアレンジメントの講師などを教室型の仕事を行い、その後45歳には「流木アーティスト」として活動を行っておりました。
現在も流木アーティストとしても活動しております。

沼津・流木の森のホームページはこちら≫



しかし、実は2019年頃から私が鬱状態を発症してしまいます。
流木アートに自信がなくなり、この当時から精神的にかなり辛い時期を過ごすことになるのですが、2020年、藤川仁美先生というスピリチュアルカウンセラーさんのことを思い出します。

何年か前に、経営者さんの集まりに誘われて、東京へ行った時、ある社長さまからご紹介いただき一度だけ名刺交換をさせていただいたことがありました。

会話はほとんどなかったのですが、その後6年間ほど仁美先生のメルマガを読んでいました。

父が生前熱心に研究していた「量子力学」について、仁美先生が講座を行っていたことを見つけ、2020年にこの講座を受講します。

ここからの人とのご縁が、鬱を抜けるきっかけ、そして私が父の想いを引継ぎ、富士活水理研有限会社の企業活動を再開させるきっかけとなりました。

藤川仁美さんのホームページはこちら≫

父が言っていたことが繋がる!

この講座の内容はもちろんすごかったのですが、エピソードとしてびっくりした話を、まずはお伝えしますね!

同じセミナーを受けたカウンセラーさんが「見える人」で、私のことをちょっとだけ話だけで、私の家のことや経歴、父の相続の時の具体的なことをズバズバと当てて!!もう~びっくりでした!

そのカウンセラーさんが、言ってくれた一言が

「今ね、あなたのお父さんがそこにいるよ。
『おれがこの講座に比香理を行くように仕向けたんだ。だから比香理を頼むね』って私に言ってるよ!」

という言葉でした。
経歴や相続の時のことまでぴしゃりと当てた人が、父が今そばにいるよ、と言ってくれたことがとても不思議だったけど嬉しくて!

「お父さんが近くにいるんだ!」
と感じることができました。

もちろん仁美先生の講座でのお話も大変興味深いものでした。
そして、仁美先生のお話しすることが、私が幼い頃から父に教えてもらっていたことと通じていて、すべてが繋がったんです!

えっちゃんとの出会い

そして、この講座で運命的なであいとなったのが松崎悦子さん(えっちゃん)。

えっちゃんもスピリチュアルビジネスプロデューサーさんで、私の本質をすぐ見抜いたようで、講座の時に私に掛けてくれた最初の言葉が

「あなた、土着だね!」
という言葉!唐突過ぎて笑っちゃいました。でも、
「あ~、だから私がお父さんの家業を継いだのか~」と妙に納得(笑)

そして、えっちゃんから講座のあとに私の家に行きたい!という声をかけてくれて!

「まだ行っていないけど、あなたのご実家は波動が高い!ぜひ行かせて!」という声をかけてくださり、実際にうちに遊びに来てくださりました。

その時にびっくり体験がたくさんありすぎて!
まずえっちゃんと私の主人が前世で兄弟だったということを教えてくれたり。

また、「私の父が生前、この家に【見えない鳥居】をつくっておいたからな、なんて言ってたんだよね」
と、えっちゃんに伝えると、

「え!?ひかりちゃん、あなたこの鳥居が見えないの!ここにあるじゃん!」と詳細な場所まで教えてくれたり!

更に、その夜家で一緒にバーベキューをした際、私の母とえっちゃんのお母様が同じ名前ということが発覚!えっちゃんから聞いたところによると「煮物の味が全く一緒!」ということまでわかりました!

あまりにもえっちゃんとご縁を強く感じました。

その後、えっちゃんに、量子波セラピーについてうちの会社でやろうか悩んでいることも打ち明けて、大阪にある量子研究財団へも一緒に来てもらい体験をしてもらいました。

えっちゃんにはすごく相談に乗ってもらい、今でも本当によくしてもらっています。

松崎悦子さんのホームページはこちら≫

ミネハハとのご縁!

更に、この時期、別のつながりから本当に素晴らしいご縁を頂くことができたのです。
それがシンガーのMinehaha(ミネハハ)さんです。

ミネハハのホームページはこちら ≫

きっかけは、KUNIYAバッグの國谷博子さんが流木アートの関係で出会ったことです。

KUNIYAバッグ様のホームページはこちら≫

まだ、うつの症状が残る私を、國谷さんが元気づけてくれようと、2021年7月、ミネハハの少人数のホームコンサートに連れて行ってくださったのです。

ミネハハはCMソングを3000曲以上歌ったという経験を持つすごいシンガーの方。
ミネハハはアフリカの3ヶ月間の一人旅で人生の価値観を大きく変え、商業音楽ではなく、
一人ひとりの心に届ける世界に自分にしかない歌を唄いたい、、と決意したということで、今は事務所に所属せず個人で活動をされているとのことでした。

このホームコンサートで、私はなんだかわからないけど、震えてマスクがビチョビチョになるくらい泣いちゃって…!ものすごく感動したんです!

最後に歌った「ありがとう地球」という曲が特に歌詞も含めて大感動したのも今でも鮮烈に憶えています。


流木アーティストを辞めるかどうかくらい迷っていた時、「自然」に感謝するこの歌を聴いて自分にもリンクしたんだと思います。


コンサートの後、ミネハハとも話す機会を頂きました。

「あなた、その流木のイヤリング、素敵ね!何をされている方なの?」という声をかけてもらい、流木アーティストであることを伝えると、何かにピンときて、

「明後日!あなたの家に行くわ!流木を見てみたい!」

と突然の電撃訪問に!!

その時に意気投合して、あまりの嬉しさに

「ミネハハ、ここでコンサートやって!」
という無茶なお願いをしたところ、なんとこれが2021年11月に実現!その風景が掲載されている写真です!

ミネハハの言葉に救われた!

ミネハハはその後何度かうちに遊びに来てくれ、コンサート用に流木アートのオブジェのオーダーも頂いたりととてもありがたいご縁をもらいました!

その後、なんと、父の遺したお水の最後の一台の機械も購入いただいたりとお仕事でのお付き合いもさせてもらっておりました。

そんな折、2022年の初冬、また私がうつの症状で落ち込んでいるときに、なんとミネハハが電撃訪問!
(本当は早朝うちに来てくれるお電話をもらっていたのですが、私がそのときひどく落ち込んでいたのでお断りをしていたのですが…。
おそらくそれに気づいて心配してきてくれたんだと思います)

ミネハハから、

「何をそんなに悩んでいるんだい!ミネちゃんに全部ぶちまけてみな!泣いている暇なんてないんだよ!」

と言ってもらって。

私が流木アートに自信がないことを伝えると

「私が、あなた作品をなぜ買っていると思っているの!?本当に素敵だと思っているからだよ!それだけあなたの作品には価値があるんだよ!」と喝をいれてくれました。

更に
「あなたの魂は一体何をやりたいんだい!?ちゃんと魂の声を聴いてごらん!」

と言って下さり、本当に私がやりたいことは、
「父の知識や経験が遺してくれた量子波セラピーをやりたい!それで多くの人が救われると確信している!人の健康を救ったり、私のようなうつの人を救いたい!」ということを打ち明けたのです。

実際にその気持ちは仁美さんの講座を受けてからどんどんと膨らんでいました。しかし導入費用など大きな壁も多く、ずっと悩んでいたのです。

それをミネハハに打ち明けると、なんと、
「その量子波セラピー、私も受けてみたいから、今、受けられるサロンに電話して!!一緒に行こう!」
との言葉!!
あっけにとられながらも、知り合いの神奈川県のサロンさんに連絡したところが翌日、予約が取れたのです。

ついに当社に量子波ドームを導入へ!


翌日、本当にミネハハが一緒に来てくれて、量子波ドームセラピーを受けてくれました。
ミネハハも量子波セラピーにとても感動してくれて、
「すばらしいものがあるじゃないか!なんとかひかりちゃんのところで何とかならないのかね」
と。

そこで、改めて、量子波ドームについて久々に財団に電話で問い合わせをしたところ…

「実はこのドームは、残り1台しか無くて。これはひかりさんのお父さんと新納先生が作ったものだから。ぜひひかりさんに導入してもらいたいと思っている」
と、担当の方がおっしゃってくださり。

このタイミングで導入しなければ、二度と手に入らないかもしれない。

この想いから、意を決して、2022年7月に量子波ドームを当社に導入したのです!

そして、財団の研究も進んでいき、今では「コンパクト型量子波セラピーマシン」が誕生しました。

これも「ひかりさんのお父さんと新納先生の研究の賜物」ということで、当社が販売できることとなりました。


「せっかく、父が残してくれた多くの人のお役に立てる【根本的な健康をサポートする事業】があるならば。この会社ををちゃんと継ごう!」
この想いを強くし、多くの人の手助けがあり、今に至ります。


私自身も量子波ドームに毎日入り、私の夫や子ども、今も元気な母といった家族のサポートもあり、鬱の症状も改善されていきました。

人生や暮らしも、光に満ち溢れていく気持ちを感じています。

「私が生きているうちにもっともっと多くの人に量子医学・量子波セラピーのことを知ってもらい、みんなに根本的な健康について考えてもらいたい!」

「健康寿命を延ばして、多くの人に楽しく明るく人生を謳歌してもらいたい!」

その気持ちで、今、お客様や取引先様と充実した打ち合わせや商談をさせて頂いております。

人との出会いは宝

最後になりますが、私は会社や自身の経験、父との思い出から

「人との出会いは宝」だということを強く感じております。

父は、母や新納先生との出会い。そして、根本的な健康を取り戻すためにうちの会社に住み込みまでしてくれた多くの当時のお客様。

私は、父を通じて多くの人と関わり、そして藤川先生やそこで出会った仲間、家族に励まされて、人生を取り戻すことができました。

私がお仕事を通じて、実際にご提供するのは、量子セラピーの機械やお水の機械だけれど。

私が本当に伝えたいのは、「人と人との出会いがきっと何よりも人間本来の健康を紡ぐこと」だと思っています。

実際の体調のことは当社の機械やセラピーで改善してもらいながら、人と人との出会いやコミュニケーションで、心も身体も健康な暮らしを取り戻してもらえれば幸いです。

ここまで長文をお読みいただきありがとうございました。

直接、皆様とお会いできることを心より楽しみにしております。



富士活水理研有限会社 代表取締役 
土屋比香理